インテリを考える

 wikipedia:インテリ

 自分は、かつて、コテコテのインテリだった(笑い)。インテリは、知識・情報をすべてとし、数字とか結果が大好物である。こうあるべきという型に自分自身こそがはまっていたのだ。当時は、他人を批評・批判してよしとしていた傲慢ぶりでした。

 しかし、角度を変えると、一芸に秀でることはけして悪いことではない。

 スチュワーデス物語の千晶のように、ど根性の泥臭い努力を許した。いつから、こんなに鈍臭くなってしまったのか。インテリの自分に疲れたからか。

 インテリは、悪いものとして扱われる。対になるのが、"民衆"だからだ。絶対的に、民衆を味方につけた方が強いし、生き残れると思う。

 しかし、本題は、自分は、"心の財"を重視するあまり、"身の財"を磨くのを怠けすぎているように思う。自ら求めなければ、楽が出来るからである。


 今対話するなかで息詰っているのは、この"インテリ集団"なのである。だから、心の財を第一としつつも、声聞・縁覚という境涯の"インテリ"との心をも通じ合わせたいゆえ、思索を巡らしていこうと決意した次第です。

 明日には、興が冷めてしまっていたら(笑)ごめんなさい。ということで先が見えない、対話の達人への一歩前進の挑戦開始!