三三蔵祈雨事(一月度座談会御書)

 12月の頭あたりから、たぶんそうだ、きっとそうだと考えていたことがある。
それは、「悪知識には近づかない」ということだ。
そして、思いのほかはっきりと御書に認められていたことに驚きました…
悪知識、う〜恐ろしい。

【悪知識を捨てて善知識を求めよ】

・誰と心がつながるかによって、人生は大きく左右されます。
「天を地と言い、東を西と言い、火を水と教え、星は月に優れている。蟻塚は須弥山を越えているなどと言う学者たちを信じている人々は、仏法を習っていない悪人よりも、はるかに劣っています」(御書1468ページ通解)

「念仏の修行に一心に励む人は尊く見えるが、法華経の眼で見てみると、日々に十悪を犯す悪人より罪が深いのは、こうした善人です。この人は善人のように見えるが、実は悪人なのです。悪人の中でも世界第一の大謗法の者です。」(1449ページ通解)」

「悪知識というのは、へつらい、偽り、媚び、言葉巧みに愚かな人の心を取り込んで、善なる心を破ってしまうのです。」(同ページ通解)


【悪知識の特徴】
「外見は賢く善であるように見せているが、内心は貪りと妬みを抱いています」(21ページ通解)


【どうすれば、巧妙な悪知識を見破れるのか】
「返す返すも、根本の師匠を間違えずに、成仏していくのです」(1056ページ通解)
(善知識の中の善知識である、根源の師匠という原点に、常に立ち返り続けることです。)

師匠を尊敬しているふりをしている人が一番怪しい。
もう一ついえば、善悪の分別がつかない人にほめられても、一つも嬉しくない。
しかし、敵をも味方に、悪知識も善知識に変えてという御指導もあるので、心して拝していきたい。
結局、悪知識にむやみに近づかなくてもいいということであると思う。
どうしても、かかわらなくてはならない時が来たら、勇気を持って、一歩踏み出す覚悟。