本当の優しさとは

 「青春対話」にこのテーマで書かれていたことを思い出し、安易に考えていたが、
結局、池田先生の御指導をそのままというよりは、咀嚼して、自分の言葉で書いた方が、思いが伝わるのではないかということに至った次第です。


 優しいということは、"うんうん"と何でも言うことを聞いて、何でも与えてということではないけど、究極は、相手の幸せを考えての行動だと思う。
 折伏も、「相手が幸せになりますように」という祈りと行動であると思うからだ。相手が即座に入るといっているのに、自分の腹がすわらないから、道を譲れないパターンもあるんじゃないかと察しがつく。

 相手の勇気と希望を温かく見守ることも、慈悲である。また、勇気と希望をもらったからには、返さなくてはならない。

 それでも、分からないのは、相手を考えているようでいて、本当は、自分こそに執着しているのだ。それは、慈悲ではない。私も凡夫なので、そんなにいませんが、嫌気をもたされた人に対しては、お付き合いしたくないということをはっきりと言っておきたい。皆同じだと思う。

 そして、創立80周年「創価完勝・青年躍進の年」
 私は、この為に、お題目を上げてきたので、ここまで来たことに疑いもないし、どんどん迷いも無くなっているので、あとは、いよいよ新時代が来るのをじっと待つのみ。環境も整い始めた。諸天善神も動きはじめた。ずっと、動いて下さっている諸天(人間)は、問題解決の度に、人間革命されている。恩返ししても仕切れない程だ。
 
 だからこそ、私は、広宣流布の為に、まっしぐらに戦い抜いて、その波動を起こし、お世話になった方々にも幸福感を味わせていきたいと強く決意しています。


 ということで、はっきりと真実を言い放ったことが慈悲であり、優しさと思ったので、こういう表現にしてみました。