抽象的な体験から

 私が20代の序盤〜中盤のある時、テレビを観ていて、悲惨なニュースが流れた。
私は、そのニュースに無関心な自分を外から見ることで、自己嫌悪に陥ったのだ。

 もともと淡白な性格で、(後から言うと他のことに目を向ける余裕がなかったのだろう)大情熱を起こしてもあさっての方にしか行かないなどと、突飛な性格だったともいえるのだが、そのニュースをみたとき、他者への無関心の一凶と向き合う瞬間だった。

 この契機を大切にし、御本尊にも向かって自分の至らなさを猛省する。

 そして、徐々に軌道修正され、正義感に変わっていったのだとも思う。途中、変な正義感にも走り、自分に関係ないことにまで首を突っ込んで、周囲を困らせていたりしたけど、変毒為薬され、今や、私が怪我をして病院に運ばれた時、老若男女問わず、心配して下さり見舞いに来てくれる方々が十数人では利かないくらいに周囲に大事にされている。
 また、後から「駆け付けられなくてすまん」との侘びを言われたりと感謝感激雨あられである。

 この存在感が、時には面倒臭く(^^;なる時もあるけど、私も今こそ語らなければと突っ走ってしつこい時、後輩が心ではそう思っているのと同じである。
 だから、長い目で見て、私の人生は間違っていなかったと確信しています。
 今後も、人生踏み間違えないよう(たまに引き出しを間違えるため(笑))、お世話になった方々へ報恩感謝出来る道を歩んでいこうと改めて決意しました。