21世紀開幕記念「教育提言」2001.1.9

http://www.soka.ac.jp/about/founder/opinion/opinion02.html#3

 「自己」の内に「他者」が欠落していれば、対話は成立しません。平和学界の重鎮であるJ・ガルトゥング博士が私との対談集で使っておられた言葉を借りれば、「外なる対話」は「内なる対話」を前提としているからです。
 「自己」の内に「他者」を欠いた対話は、形は対話のように見えても、一方的な言い合いに終始してしまう。コミュニケーションは不全です。

「仏種は縁に従って起る」自分と縁した人が物理的な距離が出来たとしても、自分と全くの共通点がなくなってしまうとは絶対に言っていない。
また、ここでは、一方的な言い合いに陥らないために、相手と対話する前に自分自身と対話し自分を高めていこうといっているのだと思う。



参考●師弟とは最高の善縁
 御聖訓には「仏種は縁に従って起る」(同一四六七ページ)と仰せで
ある。
 その仏の種を開発しゆく最高の善縁こそ、師弟の縁に他ならない。
 だから法華経は、師弟を最重視するのである。
 創価の師弟の大力を知れ!
 その偉力を示しきれ!
http://www2s.biglobe.ne.jp/~masajun/sintyaku3/200406202.txt


 真のリアリティーとは、そのような自己閉塞的で表層的な次元を突き破り、「自己」と「他者」の全人格的な打ち合い、言葉の真の意味での対話を通してのみ発現され、生々躍動する精神性であり、共通感覚であります。

私が自己閉鎖的とするならば、他方では、表層的な次元を突き破っていなかったりする。
しかしながら、"煩悩即菩提" 自分の思い描いた未来を実現させられることに人生の歓びがあり、実証となっていくし、机上の空論でなくして、唱題に唱題を重ね、現場に飛び込んで活動をしていった人が、最後は勝利できると、確信します。