信仰体験の読み方

 「題目あげてもちっともかわりゃーしない。」といっているひと。それでも、入会まもない人や発心して数年の人なら、優しくアドバイスしたくなる。
 しかし、信心何十年で、「題目あげてもちっともかわりゃーしない」と愚痴になっているひと。何も考えず題目だけあげていたら、福運は付きますが…。
池田先生は、もっと大切なことを口をすっぱくなるほど、どんだけ繰り返されているか。(たとえ私が遅咲きだろうとも、わかります)

ベスト オブ 財津和夫?サボテンの花“ひとつ屋根の下より”

ベスト オブ 財津和夫?サボテンの花“ひとつ屋根の下より”

 某ドラマで、江口洋介さんが、「心にダムはあるのか〜」これ、ポイント。


 日々の聖教新聞の体験記事をみて、病気を克服できた。事業の行き詰まりを突破できた。社会貢献して頑張っている。など、実証(実証とは「実験証明」の意)を示されている物語の、結果しか見ていないひと。それでは、一生、大感動大感激の信仰体験を掴むことはできません。
 
 例えば、4/4付の埼玉県川口市 壮年部の体験
「病院事務長で経営の見直し」心筋梗塞も乗り越えた体験
「・池田先生の御指導『現実はつねに厳しい。ともかく、仏法は勝負である。信心のうえで絶対に負けてはならない。』との言葉が命に突き刺さったのである。
・そして、その御指導を信心の原点とし病気も克服し、経営も拡大することが出来た。」

 ここでの目の付け所は、後者ではなく、池田先生の御指導により、信心の原点をつかめたところにある。
 だから、真似をするなら、信心の原点をつかむところがポイント。
 だって、煮ても焼いても病気とは無縁の人もいるし、経営に携わっていない人もいる。また、お金は必要な分だけあれば満足の人もいる。
 「どこで、どう命が変わったのか」自然に替わるのではなく、原点がちゃんとある(因果応報)。

 また、4/5付の埼玉県東松山市 婦人部の体験
「父・母・義母を介護」親に教えられた生きる重み
「信心の原点は20歳。母と聖教新聞社に訪れた時のこと。池田会長(当時)に会う。『学生?』と近況を聞いて下さり、優しく握手をして下さった。
以来、"何があっても先生と共に広布に生き抜こう!"と不退転を誓った」とある。

 ここで、「私、池田先生とお会いしたことないし、先生、来てくれないんだもん」といっているひと。
バカヤロウ(たけし風)!そしたら、SGIのメンバーは、遠く海外に住んでいても、もしかしたら日本人以上に師匠を求め、牧口先生・戸田先生・池田先生の公園、ストリート、外部なのに、池田先生の研究所や大学までつくっちゃうって、どういうことになるの??
 どこまでも、師匠を求めていった人にのみしか、師匠のお心に応えられないと思う。そして、真の弟子として立ち上がっていったとき、師匠のお心に通じていけるのだと確信する。

 つまり、祈りとともに、自分自身の弱い壁と戦い続ける人こそが、人間革命も宿命転換も実現できると、これらの体験から学ぶことが出来る。

棚ぼた(棚からぼた餅)信心のひと。私もそうだったので、心新たに頑張ろう!