悪との闘争の本質に迫る

仏法の「縁起」観について気にしていたが、巡りめぐってここまで辿り着いた。

寛容性を考える場合に指摘すべき第一のポイントは、仏法の「縁起」観、すなわち、ありとあらゆるものは結びついているという見方である。

ここで、対立もまた「結びつき」の一つであるという。切り結ぶという意。目から鱗、衝撃であった。

全ては変化――、相互依存(縁起)し合っており、調和や全一性はもとよりのこと、矛盾や対立といえども、結びつきの一つの現れである。故に、矛盾、対立の内なる制覇に発する、悪との戦いは、大きな結びつきに至るまでの避けられぬ、避けてはならぬ荊棘(※うばら・いばら)である。

(『聖教新聞』2005年1月26日付け、3面)

きっと、以前も読ませていただいたのだが、よくわからなかった。
しかし、今日は、理解してとれた。
かといって、対立を好んでするわけではない。
悪との闘争は、小我から大我への革命の時に避けては通れないものだということを心に留めました。

参考●「SGI提言」に見る地球市民の哲学 学術部有志
http://ssn.cside.to/ikeda/yamada4i.htm