授記品

法華経の智慧〈第2巻〉二十一世紀の宗教を語る (聖教ワイド文庫)

斉藤 ”成仏とはどのような「状態」か”という問いそのものに、まだ爾前迹門の成仏観にとらわれている面がみられます。今の姿とは違う、何らかの”達成された状態”を想定している場合が多い。私たちは、どうしても、「仏に成る」という表現から、そういう考え方になりがちです。

名誉会長 そうだね。大聖人は、成仏とは仏に「成る」のではなくて、我が身を仏と「成(ひら)く」、仏の生命を「成く」ことだと仰せです。
 戸田先生も「成仏とは、仏になる、仏になろうとすることではない。大聖人様の凡夫即極、諸法実相とのおことばを、すなおに信じたてまつって、この身このままが、永遠の昔より永劫の未来にむかって仏であると覚悟することである」と言われています。

 成仏とは死後にあるのではなく、まさに生きている間に成就できるものだということが、一般世間には浸透されていません。

また、後に続く御指導として、

「執情(しゅうじょう)を捨てることが、法華経のこの文の本意である」(御書731ページ、趣意)と言われている。そして、この「捨てる」というのは「ほどこす」と読むのだとされ、この身を捨てるとは「法界に五大を捨(ほどこ)す」ことであると仰せです(同)。法界とは宇宙であり、世界であり、すべての衆生です。五大とは生命です。「法界に五大を捨す」とは、わが生命を利他のためにほどこす「菩薩の行動」です。菩薩道を歩むこと自体が、成仏なのです。

明快な御指導に、ただただ感動。