善悪について

善悪の判断がつかないということ
http://iwatam-server.sakura.ne.jp/kokoro/zenaku.html

ここ数日、悶々とした事柄がこれです。
この記事では、ネット世代となっていますが、たとえ大人でも、「善し悪し」の分別がつかないということです。


罰が当たるというけど、何のためか。信心しているからといっても、誰にも間違いはあります。
何の為の罰か。信心していて罰が現証としてあらわれたとしたら、その根底は御本尊様の慈悲だと御書にご教示されていると記憶します。


記事の中にある通り、「悪気はなかった」と言えば、弁解として成り立ちますが、今の世の中、相手の側に立って善悪の判断がつかないせいか、悪いと言われると悪いと言われたことに腹を立て逆切れする始末…

何で悪いと言われたのか考えることをしないなんて人間として詰まらないじゃありませんか。
思考に余裕無さすぎです。

これでは、どんなお仕置きも効き目ありません。押入にぶっ込まれたとしても、ご飯抜きにされたとしても…

親子兄弟でさえも希薄になってしまっている人間社会にあって、深刻な問題であると思いました。

偉そうなことを書いてしまいましたが、自分に今何が出来るか。気になってしまった者の宿命を使命に変えて、今日から、また、頑張ります。