役職について

以前先輩に、私の眷属は500人いるから、まだまだ折伏は出来る。と聞いたことがある。そして、御書にも書かれてあると。まだ、確認していないところが本気で折伏の結果を出せない理由かもしれません。

そう言えば、「懺悔」の意味を知ったのはつい最近。どんだけ傲慢だったのかと自分が情けなくなる。

その本気度というのは経験からして、師匠にお応えしたい一心で寝ても覚めても折伏・三度の飯よりも折伏のことしか頭にないぐらいの真剣さがものをいう。


しかし、見方の角度を変えれば、本当に必要な時に[人に出会うことも]御書の御文を心肝に染められるのがこの仏法であり、ということは、必要に応じて出会えるのも同じことではないかと考えるようになった。

会社の上司が自分を幸せにしてくれるのではない。上司としての心得はあるにしても、変えるのに一番手っ取り早いのが自分なのだから、脳みそを騙してでも、夢を実現化し目標を達成出来る人が確信の人というんじゃないかと思えて来た。
【脳みそを騙してでも】というのは、一つは高低浅深を知らなくてもなんちゃないということ。その人にとって、自分を必要以上に高い位置に置いてしまって祈れば、それなりの結果が出るという絡繰り。もう一つは、思い込みを捨てることでいくらでも大きな夢を描き自由に祈れるということ。

とすれば現実逃避しないバカな私でも救われるということになる(笑)。

最後に役職について。これらのことを踏まえて、役職を全うするということは、部員全員を満足させることが先ではない。自分がやり切ったかどうかが大事で、好かれようか嫌われようが終わりは来る。眷属が500人とすれば、一生のうちに自分が縁した人数を考えると、ましてTwitterなどをしていると、袖触れ合うも多生の縁で1日500人以上と縁することは珍しくない。
だから、役職を全うするということは、全員を満足させることでなく、一人残らず幸せになって欲しいと祈り、願ってやまない友情であると思った。

完璧に考えるからうつになる。それを求める方も求める方である。少し気が楽になった。仏が完全無欠なのだからそれに毎日、縁出来ることにまずは感謝しよう。