自分の考えが深化していくこと

「本で読んだこと、感想などを並べただけでは論文とは言えません。どんな小さなことでもいい、発見がないといけません。自分の考えが必要です」そう述べたのはX教授である。
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「初めのX教授も発見などと言うのではなく仮説がなくてはいけない、と言えばよかったのである。」
(潮2010.10月号P242〜245)

”仮説を立てる”と題して著者・外山滋比古氏ははじめから終わりまで、怒っている。

数ヶ月前、聖教新聞で著作の引用の仕方について述べられていた。

引用文より多い文字数の自分の言葉を書くという趣旨であった。多分、貴社は著作権に関してはゆるい考えだと思うけど、社会一般として、また、書くことで満足し先に進まない、大袈裟に言えば、書写を許し社会的に通用する人材育成の妨げになり、教育的にどうなのかという思慮分別の末、「引用文より多い文字数の自分の言葉を書く」という文章に辿り着いたのだろうと思った。

少なからず、私の言葉がアウトラインを追っただけで、極めて抽象的だが、

'祈り'と同じように思考も【深化】していかなければ、成長も発展もないのだということだろう。