つぶやきから

社会組織なので…複雑に絡み合った糸を解すには、最も交差している結び目がツボかなと。結び目を紐解いてやったあと、それぞれの課題に取り組んでいく。そこではじめて氏家先生の哲学をぶち込めば最高級人間関係完成? RT @ujikenorio: 研究自体が‥

複雑な問題は、一個一個丁寧に解(ほど)いていかなければならない。
しかし、絡まりすぎてアウトラインさえわからなくなったときは、そこに「具体的な視点で解くのか」それとも抽象的いわゆる「全体感に立った視点で解くのか」は臨機応変に判断しなければならないと思う。

もう副えるしか出来ないという現状。

これは、goodyの本音です・・・例えば、正役職で大手を振って指揮をとっていくよりかは、副役職という立場で使命を見い出していくほうが向いているのではと思いました。今までの経験から。内部外部問わず、 道行く人に声援を送っていただけたこともありますし、見ず知らずの人にも野次を飛ばされたりすることもあるわけです。それが苦痛とかというわけではなく、大きい看板をしょって、それで覚悟はしているつもりでも、どこかで誤解や迷惑をかけていたら申し訳ないな〜とも考えるわけです。

しかし、例えば、ここからここまでは悪で、ここからさきは善でというようなわかったようなわからないような見取り図に目を眩まさせられて、「はぁ〜」って惚けて、やっていくことが多いのですが、そうした暴挙や酩酊をのりこえ、きちんと認識した上で、?したたかに?いきていく……ここが多分大切なんだろうね。

矛盾と聞くと、みんな否定的なイメージで捉えていることが多いんです。
たしかに哲学……特に論理学……は「矛盾」を嫌います。

しかし、現状認識の出発点としては「矛盾」に「満ちた」ことを自覚する必要があるんです。

そして、そこからどうすっぺというのが議論なので

その現状認識を排した、論理としての矛盾のなさこそ問題なんです。




「理想とほど遠い現実でも、それを直視して、行動しなければ、なにも始まらない。」氏家氏ブログから
http://thomas-aquinas.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-a661.html

goodysatur:矛盾というより混沌の中で生きることから価値を見出す?
と突っ込みを入れたわけです。 

ujienorio氏:そしたら、自分で考えてやってみ?
と来たので、???になってしまったわけです。

しかしながら、混沌=カオスからコスモスへ転換されたところはお見事。。


※ブログ「ババァの小耳に耳を貸せ」より [カオス⇔コスモス]
 http://blog.goo.ne.jp/broccoli29/e/c58414e7669517373245464be6469cc5