自分が死ぬとき

 年齢が、40近くになると、死ぬことについての妄想がたまにちらつく。遺言キッドが本屋で売れていることを思うと、人生の折り返し地点でとか、病気・事故で入院・床にふせるなど自分をみつめなければならない状態になったときに、自分の死がちらついたりする。しかし、生病老死は免れることは出来ないのだし、生があるから死もあるという現実。だからこそ、若者を訓練し、人材を育て、自分亡き時には、大丈夫なようにしておくのだと思う。なぜ死ぬのかというのは、周りを見放したというわけではなく、人生を全うしたと思われたい。

 谷啓さんの「がちょ〜ん」のギャグが本人が亡くなってから少し話題になったのは、皮肉なものだ。そして、亡くなってから賞まであげて。そんなに認めていたなら、生前に捧げれば、本人の希望になったんじゃないか。しかし、賞は何のためだろう。

亡くなるときに、ああ、いい人生だった。自分は幸せだったと思って、人生を終えれば、後輩たちに少しは貢献できるんじゃないかと思う。


生まれたときもはだか、死ぬ時もはだかだもんな。