それは、「確信」だった。

香峯子抄

 街頭宣伝車が、大音量で先生や学会の悪口を流し、騒いでいたころのことです。
 奥様は、街宣車信濃町の本部とお宅の周りに来ている真っ最中にも、婦人会館で、皆とお題目を唱えてくださったんです。
「お題目をあげましょう。今日は千遍ね」と自分で数えられながら。
 そして、「こんなにあげていることが、あとでどんなふうになるか楽しみですよね」とおっしゃいました。
 暗雲がいつ吹き払われるか、先のことは予想すらつかない時期でした。でも、奥様は「楽しみね」と、どんな場合にも大確信でした。(婦人部幹部の話)

おせっかいにも、他人を心配したりして、すぐストレスが溜まってしまう。
柔道整復師の人は、私の元気な形とは違った、あたかもご老体のような体な私を知って、びっくりする。
とある人は、「こんな症状は、自分の悩みに悩んだだけでは出てこない」と。
(おお、光栄です。わたしは、人のために動くのがしごとですから。)と心の中でつぶやいた。
しかし、現実問題、健康でないと他人を幸福にできないではないか。
元気なときは、気力100倍なのだが、倒れると、体のあちこちにガタが。
しかし、今日は、その根源なるストレスの原因を探りたくて、本を手にした。
自分は、婦人部という四者を包み込まなければならない立場として何が足りないのか。

そして、ページを読み進めていった半ばすぎ、応えかそこにあった。

原因は、他の何者でもない「確信」「大確信の祈り」

‥臆病な自分を超えるのに限りがない。
今後も、次から次へと自己との格闘が続くであろう。勇んで。そのために、健康な体が欲しいと日々、願ってきた。



そして、今日、もう大丈夫だと確信できた。

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