スタン・タクディル・アリシャバナの一生

インドネシアを変えた100人」の一人である。彼は単に新しい文化(Poedjangga Baru)を創刊したばかりでなく、彼はインドネシア語を近代語に変えた民族の文化の基礎とした人である。「Tata BahasaBaruBahasa Indonesia」は全ての学校の教材となった。日本時代、日本軍が作ったインドネシア語協会で研究に没頭400,000語に及ぶ言葉の蒐集を行った。1908年2月11日タパヌリのナタール生まれであるが父はArbiのスルタンと任じられたジャワのアリシャバナのラーデンである。指が4本しかなかったためTakdir運命と呼ばれた。17歳にしてオランダ語の作品「農夫の手紙」を書いている。出版社 Pandji Pustakaに勤める傍ら1929年から1941年までに多くの小説を残している。バンドンで高等教育、その後バタビアでBalai Pustakaで職を得ている。Bandungと故郷との行き来の中から着想した「Layar terkembang帆を上げて」(1937年)は有名である。1933年には「新しい文芸運動」をArmijn PaneやAmir Hamzah、Husein Djajaningrat、Maria Ulfah Santoso、Sumanang、Purwadamintaなど約20名で新しい文芸運動を起こしている。彼にとって文化とは科学、技術、宗教の総合したものであった。その後も各大学での教育活動、文筆活動は枚挙にいとまがない。1980年には日本でも紹介された「Kalah dan Menang敗北と勝利」を発表している。これは日本占領期を冷ややかに見つめた彼自身の目で綴ったものである。彼は長くUniv.Nasionalの学長であった。彼は1995(94?)年7月17日に86歳で亡くなった。UIやペナンのSains Univの名誉博士号、日本の瑞光重光章を与えられている。

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