日蓮大聖人の御謙遜について

主師親の三徳の現代的意義  創価大学 山岡 学生部長
http://home.soka.ac.jp/~myamaoka/ShuShiShin3Toku.html

日蓮仏法とは、法華経に描かれている「生命の尊厳観」を、信仰者自身の生命において事実として表していくことを信仰の根幹として示した教えである。

的確な表現ではじまる。
池田先生以外に、現代的意義を書く人も少ない。貴重な論文を見つけました。


●人間らしさを表現する御謙遜

生命の平等性と永遠性を、身をもって衆生に示す行為を真に実践している者は誰か、それは日蓮以外にないと、余計な謙遜などをいっさい排して大聖人は高らかに宣言する。その現証として、法華経が予言する通りの三類の強敵の迫害に遭い、乗り越えた自身の人生を述べている。

このように見ると、主師親の三徳というのは、決して神秘的なものでも超自然なものでもない。生命の尊厳の法はどこまでも深遠で尊いが、それを衆生に示していく仏の振る舞いは生身の人間的要素に裏付けられたものなのである。すなわち、衆生を庇護する主の徳を支えるのは「勇気」であり、衆生を教導する師の徳を支えるのは「智慧」であり、衆生を育む親の徳を支えるのは「慈悲」である。これはそのまま、現代において求められる指導者像そのものでもある。この「勇気」と「智慧」と「慈悲」をすべて具えた指導者こそ、我らが創立者池田大作先生、その人である。


●例えば、御謙遜されている御文↓↓
◎是れひとへに
日蓮が智のかしこきには・あらず」
時のしからしむる耳、春は花さき秋は菓なる夏は・あたたかに冬は・つめたし時のしからしむるに有らずや。
http://trendblog.sblo.jp/article/28177189.html

◎而るに日蓮上行菩薩にはあらねどもほぼ兼てこれをしれるは
彼の菩薩の御計らいかと存じて此の二十余年が間此れを申す
http://www21.atwiki.jp/hajaken/pages/102.html

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未活だったころの私には、枝葉の部分かもしれないけど、賢人なのに、あえて御謙遜されていたりするところに特に視点があり、そういう人物を尊敬できた。自分のことは棚に上げて(笑)
そういう御書があったことを、的確に何ページては言えないけど、今でも心に刻まれている。
謙虚こそ偉大!
当然、わたしも、謙虚で、感謝と反省の人には心惹かれます。
しかし、未だに傲慢さが鼻にかかるようでは自分の傲慢の命が反応している証拠。まだまだ自分は、これからであると自省する日々です。(悪とは断じて戦うけど、自分が巻き込まれるようではまだまだという意味)