宗教はだれのものか

数ある日本の宗教宗派の中で、牧口初代会長が日蓮の宗教を選んだのはなぜか。一つのの手がかりとして、「創価教育学体系」に収録されている『価値論』には、つぎのように記されている。

「人を救い世を救うことを除いて週今日の社会的存在の意義があるわけがない」

「宗教とは人生に幸福をもたらすべきものでなければならない。すなわち個人に、また社会に利善美の価値を創造させる根本のものというべきである」

「宗教とは人間が人間以上のある対象を神とか仏とか名づけて信仰していることであると考えている人がある。(略)その本尊がどんな力を持ち、どんな作用を持っているか、すなわちその本尊の実体を明らかにしなければ、これを信仰を対象とすることが馬鹿らしいことである」

「日本人の多くは仏教の各宗派に属していて、先祖伝来の墓を守り、お盆やお彼岸にはそこへ参詣して僧侶に供物でも上げたり墓の掃除をすることなどが宗教であると考えている者が多い。これに対しては現代の腐敗した寺院の僧侶たちは喜ぶに違いないが、これでは釈尊の真意はまったく忘れさられてしまったのである」

 牧口会長は、宗教は現実の人生や社会に価値を創造しなければ意味がないと考えており、葬式宗教と化した即成仏教を厳しく批判している。また、人間以上の何かに人間がひれ伏していくような信仰のあり方にも、疑問を呈している。
(中略)
 その日蓮宗各派の中で、牧口初代会長が※日蓮宗教を選択した理由は、端的にいえば、※日蓮正宗のみが日蓮の信仰を今日に伝えていると判断したからだ。

(※は当時)
わたしたち弟子が選択した理由は最後の日蓮正宗を「創価学会」と置き換えて読んでみた。

初代・二代・三代会長の信仰の精神は、上記の価値論の5項目にあると思う。
今後、私たちも、その精神を継承していかなければ、「創価学会」は単なるサークル活動組織と化してしまう。

草創の発露は、難しいことは全然ない。それは、生活に密着している宗教だからだと思う。

最近、学会は、変なしつこさがなくなったね。と言われたので、今度は、何でもベラベラ漏らすということを含め、デリカシ−のない人間は少ないねといわれるようにしたい。