「平和の哲学 寛容の智慧」を読んで

平和の哲学 寛容の智慧

平和の哲学 寛容の智慧

池田:文化とは、人間の「生き方」の表れであり、民衆の生活そのものです。

ワヒド:(やはり、)「多様性」と「統一性」を媒介する主要な力は、寛容の資質を実践することです。

イスラムと仏教の語らい〜インドネシア共和国元大統領と創価学会名誉会長との語らい。

イスラムという言葉それ自体が、語源的に「平和」に関連しているとのこと。
印象的だったのが、「信念の言論人として、また、国民の幸福を担う政治の世界で活躍してこられた博士に対し、心ない中傷もあったかと存じます。人から裏切られて、悔しかったことはありませんか」との池田名誉会長の問いに、ワヒド元大統領「あまりにも頻繁に裏切られるので、それが試練であるとさえ思わなくなりました。何より、裏切りが起きるたびに、必ず得られる英知があるからです」と。

インドネシアの国花はジャスミン(ムラティ)。私がジャスミンティー好きで、思想にぴったりはまってしまったことから、過去世には、インドに機縁していたのかもしれないとまで思うほど、ワヒド氏の高貴な人格に引き込まれました。

池田名誉会長の話の中で、オーストリア皇帝ヨーゼフ二世の「寛容さこそ、人々をその住地に定着させ、各々の職分において多くのことを達成せしめるために必要な条件である。宗教的迫害行為に赴き易い教条主義や不寛容主義は、国家をしてその住民を根絶させ、貧困ならしめ、かつ無秩序の状態を提出せしめるにいたるであろう」との引用から、1781年「良心を圧迫するあらゆる行為が有害である」と掲げた「寛容令」公布の例を取り上げてくださり、日本の思想に閉じこもりきりでは幸福になれない、もっと広い視野をもたなければ、万民の幸福は得られない。と目から鱗が落ちた斬新な歴史でした。

しかしながら、人々を規制するのは、その反動で、かえって反発も買われかねません。テレビで見たら、薬物自由地帯もあるというほど、人種・その文化・特色等に合わせた対応を臨機応変になされなくてはならない。また、段階を経て執り行い、人々の理解を深めていくことが地道ではあるけれど、それが確実な平和への大道だと思いました。いくら、寛容さが善なる人間の倫理だとしてもです。

対局の位置にあるといっても過言ではない、イスラムと仏教の語らいは、本当に有意義なものだと感動しました。自分自身も不公平・偏見の心があったんだと気付かされました。言語の壁・文化の壁を乗り越えて、高い次元で物事を見、理解していきたいと改めて決意した書籍です。